進撃の巨人のアニメがついに2019年4月からはじまりました!!
といっても、この内容がモヤっと状態でいどむのは武士の恥なのでもう一度よみなおしました
正直、進撃の巨人は伏線がハンパなくて、にるもよし、切るもよし、いためるもよしなので読めば読むほど好きになります
僕のなかでは、「ガンツ」「進撃の巨人」が群をぬいて
最高傑作ですね!
あなたの最高傑作、コメントで教えてください
それでは見ていきましょう!
作品について
腹の底から「最高」と叫びたくなるほど面白い。
その声は山をも越えていくだろう。
言葉遣いもおかしくなるほどに良い
読めば読むほど魅力される。それはなぜか?
それは、私たちの想像を超えてくるストーリーがそこにあるからだ。
人間の作ったものとは本当に思えないほど、完成されている。
一話の時点で、結末まで決まっていたのではないかと思うほどだ
わたしたちは毎回、予想し、裏切られ、歓喜する。
サッカーワールドカップが胸の内で開催されるのだ
ドラゴンボールやワンピースとは全く違う。
ドラゴンボール、ワンピースは
完膚なきまでにやられてこんな強い相手に勝てるわけがないという絶望。
そんな時に仲間の死や感情といったものが契機となり
えぐいてぃ~と叫びたくなるような力が発揮される。
そこには、修行なんてものは一切ない。
いうなら非現実的だ。
しかしこれが王道漫画のお決まりである。
そこにはある種のカッコ良さがあることは認める。
わたしもドラゴンボールは大好きだ。
しかし、この進撃の巨人は、巨人という空想的な世界観においても、人間(つまり現実の私たち)らしさというものがあるのだ。
例えば、エルヴィン団長はその圧倒的な知性で調査兵団の頭脳として活躍をする。
その思考の深さは海よりも深く、まさに皆を正しい道へと導くリーダーとして描写される。
その姿は魅力的で、私も心酔したものだ。
しかし、そのエルヴィン・スミスでさえ
心の底ではただ、世界の本当のことが知りたいという、利己的な考えが核にあったのだ。
何千もの仲間を「心臓捧げよと!」鼓舞し、ある意味、死なせてきたエルヴィンが利己的な目的のために動いていた。
何千もの死体の上に座る、エルヴィンの描写は印象的だ
そういう観点では彼のことを非人道的に感じられるかもしれない。
しかし、私は彼の姿はとても人間的であり、ごく自然のようにみえるのだ。
つまり、とても当たり前のこととして、適度な運動の後に飲む水のようにすんなりと受け入れられるのだ。
私は恭順的に悪がいつもまけ正義がいつも勝つという物語をある意味では卒業したのだ
そして、24〜25巻にかけては、新たな感じを受けた。
エレンが海を渡った大陸の地下でライナーと対面して語った言葉。
つまり、エレンが突如襲い親や仲間を殺したライナーたちを恨むのは当然。
またライナーが小さい頃から島の人間(エレンたち)をたおし始祖の巨人を奪えば、自分たちの差別がなくなると言われて、それをするのも当然。
だから仕方がないと。
この考え方には驚いた。
その視点は思ってもなかったけど納得であるし、あのエレンがライナーたちにある種寄りそう考えになったのだ。
物語には二面性がある。
自分がどちらの立場に生まれたのかという偶然の要素で、正と悪は入れ替わる。
この話は、ライナーたちの視点から描いたとしても、物語として成り立つわけだ。
先祖の罪を晴らすために小さな子供が、敵地に送り込まれ、敵達と過ごすうちに、ライナーは頭がおかしくなった。
それでも、戦士として立ち上がるその姿は十分、私の心を打つ。
しかしエレンはライナー達を襲う。
仕方のないことだと。
どちらの選択も正ではない状況でも、選択しなければならないことがある。
それは色彩を持たない多崎つくると、かれの巡礼の年で多崎つくるがシロの精神安定のために、切り捨てられなければならなかったことと似ている。
また、1人を助けるために5人を殺すのか?というようなトロッコ問題にも通ずる。
世の中は、正義と悪がはっきりしていることの方が少ないのではないか。
私という人間だってそうだ。
私は正義で組織されているなんていえない。
人より自分を優先することもあるし、ズルもしたことがある。
正義と悪は混在していることが、世の中の一つの真理だ。
ではその世の中で、私は、あなたはどう折り合いをつけていくのか。そこが肝心ではないか。
おわりに‐
もしあなたが進撃の巨人を読んでいないなら、ぜひ一巻だけでも手に取ってほしい。
いまや、日本といえば漫画大国といわれるほど、漫画の地位は上がっています。
当然、完成度もハンパじゃないです。
一つの本が人生を変える力をもっているように、漫画もその域まで達しています。
ぜひあなたの価値観で、漫画をおすすめしてください
そして、この記事を読んだ感想や意見を
一言でもいいのでコメントしてください
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