マンガ三国志I劉備と諸葛孔明の感想・レビュー

桃園の誓い

黄巾賊という野蛮な賊が力を持っている時代。後漢も黄巾賊をどうにかする力はなかった。劉備、関羽、張飛は世を正すため義弟の盃を交わし、500の兵を従える。(桃園の誓い)

ちなみに劉備は前漢の皇帝の弟の子孫。現在は母と草鞋を作って売っている。関羽は浪人。張飛は酒と肉の商売をしている。

黄巾の乱

劉備玄徳(りゅうびげんとく)、曹操孟徳(そうそうもうとく)、孫堅文台(そんけんぶんだい)は味方として黄巾賊を攻める。

この三分が後に中国を股にかけて戦う三国志の英雄たちである。

三人とも武功を挙げるが劉備玄徳たちは地位的に低く扱われた。

劉備たちは地方の警備のような役職になる。しかし劉備を見に来た役所の人間の失礼ぶりから、争いになり、劉備たちは官職を止める。

色々あって董卓(とうたく)が力を握る。その力は帝よりも大きく、自分勝手な政治を行った。しかし呂布という最強の武将を常にそばに置いて力で収めていた。

曹操の野望

曹操は董卓の暗殺を試みるが失敗。親のところに逃げる。親と協力して大金を使い群雄に偽の詔勅(しょうちょく)を送る。

詔勅:天皇の言葉

董卓倒すから強いやつ集まってということである。

そこに劉備や孫堅文台も集まる。総大将は袁紹(えんしゃう)。董卓は都を捨てて違うところを都にする。

捨てた都を取ったら戦意喪失。なんか満足しちゃった。皆解散。

でも董卓の独裁は続く。

独裁者董卓

王允(おういん)は義理の娘貂蟬(ちょうせん)と協力して独裁を終わらそうとする。

呂布と董卓の両方に美しかった貂蟬を嫁がせることを言い、仲違いさせた。

呂布が董卓を殺す。

曹操の台頭

王允は董卓をうまく殺すことに成功したものの、董卓の部下に虐殺される。

なーにしとんねん。である。

国は混乱状態。そんななか、隙を見た黄巾賊が大群で攻めてくる。

最初の人が直ぐに戦死したので、曹操が後任として戦い勝つ。黄巾賊の精鋭を自分の軍に加え、青洲兵(せいしゅうへい)と呼んだ。

曹操は父曹嵩(そうすう)を近くに置きたいので迎えに行くよう部下に頼む。しかし父の護衛についていた兵が扱いに不満を溜めた。

「なんでわしらだけ外で寝なあかんねん。いっちょ、襲ったらそこにある財宝だけで一生暮らせるでしかし」

財宝に目がくらみ、曹嵩を殺してしまう。(父と一緒に財宝も持って行ってた)

怒り狂った曹操は護衛をつけた陶謙(とうけん)のいる徐州を襲った。部下の悪事は上司の責任なんだわ。

陶謙は「こりゃあかん」ということで、近くの平原を制圧していた劉備玄徳に助けを求める。

曹操の横暴は見過ごせないとして、劉備玄徳は趙雲と共に戦う。

そこで曹操が城を留守にしている間に呂布が本拠地を制圧したという知らせが入る。

呂布は董卓を殺した後、点々としてた。

曹操は急いで本拠地に戻った。勝った劉備は陶謙から徐州を譲りたいと言われる。

曹操の横暴を見逃せないという大義のもと戦っただけだとして、断じて断る。しかし陶謙がいつ死ぬかわからぬ状態になり、劉備に徐州をまかせないと死にきれないと言われ、引き受ける。

曹操は本当は自分が狙っていた徐州を劉備に取られて怒る。

しかし呂布に奪われつつあった城の奪還を優先させた。

呂布は逃げた。

劉備のいる徐州につく。張飛は「こいつ義理の親父を2回も殺したやつだぜ!信用ならねえ」というが、劉備がんなこというな!という。

それで呂布には近くにある小城に居てもらうことになった。

ちょっと色々あって帝が曹操側についた。帝は飾りとなり、曹操は思うがまま。

あとは劉備と呂布をどうにかしたい。策略をねる。まず袁術に徐州城を攻めさせる。

徐州城は劉備のいる城だ。さらに勅旨をだし劉備に袁術と戦わせる。

そこで手薄になった徐州城をみて呂布が攻めてくるだろう。

と考えた。

実際そうなって徐州城は呂布に取られた。

呂布無銭

劉備はかつての敵曹操のいるところへいく。曹操はここで劉備を斬るのは名がすたるということで迎え入れる。

一緒に呂布を倒そう!と約束。

しかし使者を呂布に捕らえられ、作戦がバレる。

でも戦うと曹操と劉備が優勢。家来が生き延びるために呂布の寝床を襲って曹操たちに渡した。

首吊りの刑で呂布は死ぬ。

劉備の志1

曹操も劉備も呂布を倒したことで偉くなる。しかし帝は曹操の傲慢な振る舞いに危機を覚える。

こいつ俺の座を奪うつもりだな。

てことでこっそり曹操暗殺の勅旨を出す。

強い奴ら何人も署名。劉備もそこに入った。

しかし曹操>劉備の状態。かつ帝が住んでる都に劉備と曹操はいて、曹操がいるからなかなか自由がきかないで。

そこで戦いが起こった時に、私に任せてください!と言って、外に出た。(徐州へ帰った)。

曹操はあとから作戦に気づき、虎を野に放ってしまった!と後悔した。

劉備の志2

連判状も見つかって署名した人たち、その一族は皆殺しにされた。あとは劉備と馬騰という人だけだった。

劉備は曹操に攻められてまける。もう一つの城にいた関羽も攻められる。

そこで説得されて関羽は人質になる。

ここで死ぬより、生きて劉備たちの助けになるべきじゃないのかという感じである。

その際、劉備を見つけたらすぐに駆けつけて良い、劉備の家族は守ることを条件にした。

結局、劉備が見つかって久々の再会。涙の宴である。

劉備雌伏1

曹操と戦ってボロ負け。城失う。親戚を頼りに行くと決める

劉備雌伏2

親戚は快く迎える。

そこで平和に過ごし6年くらい経つ。

劉備46で初子供。しかしこの時まだ、特に功績を残していなかった。

野心はあるが成果の出せない男だったのだ。

軍師がおらぬのが原因と頭のいい人にアドバイスをもらう。

諸葛亮孔明をおすすめされ、何度か通い口説き落とした。

3回通ったから三顧の礼という言葉ができた。

孔明初陣

関羽と張飛は、孔明が劉備とべったりで気に食わなかった。

わしが魚なら、孔明は水じゃとなだめた。

しかし初陣で孔明の通りにことが進み、勝利した。これにて信頼を得た。

曹操侵攻

曹操が侵攻してくる。結構いい感じで、戦う。しかし曹操100万、こちら1.5万である。そこで、もう一つの勢力孫権軍と手を結ぶ。

孫権は30万の軍だ。

一巻終わり。

巻末解説

三国志の時代はどんな時代かというと三つの流れがあった。一つは劉備たちの漢帝国を続け行きたいという考え。もう一つは孫権の国を三分してそれでええという考え。もう一つは曹操の新たな統一国家を作りたいという考え。

曹操は革新的なことをやっていて、租庸調や均田制の基礎となったことをやっているが、その時代には身を結ばなかった。

三国志には色々あって、「三国志」は三国志の時代の直後に書かれた、その時の現代史的なやつ。

三國志の後は曹操の魏が統一したので、曹操贔屓された本。

しかし後にるあ歴史家が注釈で記述を補った。

もう一つは三国志演義。これは劉備の蜀を正統として十四世紀くらいに小説として書かれ大流行。

諸葛亮孔明は天才軍師、関羽は義という徳目を体現する神格化した存在として描いている。曹操は漢を滅ぼした極悪非道な人になってるし。

吉川英治は宮本武蔵とか書いた人。司馬遼太郎的な歴史小説家みたいな。この本は吉川英治をもとにしているんかな?

くりぃむしちゅーのラジオにおける、上田のむちゃぶりのコーナーで、上田が上田大将という人の子孫だったという話の時に

「吉川英治とか宮本武蔵とかが取り上げる人物だよね」と上田大将のことを言っていたな。

第二巻

諸葛亮孔明が孫堅のところに残って、一緒に戦うことになる。船での戦いなのだが、敵100万にこちら5万?くらい戦力差がある。

しかし相手の策略の逆手を取り、アッタマのよい作戦を仕掛けておいて、全て勝てるようにしてから、諸葛亮孔明は劉備の元へ帰っていった。

つぎ。

力で劣る劉備軍は漁夫の利で、曹操と孫権が戦っているうちに荊州城とか三つくらい取る。

んで、蜀も手に入れる。

これで勢力もデカくなり三分国になる。

曹操が王になったので劉備も王を宣言。

蜀にいるあいだ関羽に元いたところを任せていたのだが、殺される。

続いて張飛も部下に寝返られ殺される。

劉備は怒り狂って全軍で攻めまくる。しかし無茶であった。

縦に伸び切った軍は穴だらけで負ける。

んで、年もあり劉備ひ死ぬ。その後は諸葛孔明が政治を行う。

5回も魏討伐を行う。しかし結局、倒せず志半ばで死ぬ。

二巻の後書き

実際の諸葛孔明は軍師とは普通に優れているけど、個々の戦闘における戦略などでは劉備とかの方が強かった。

ただマクロの視点に秀でていたらしい。あと、劉備が警戒するほどに官僚をガンガン使って自分の地位を確固たるものにして内政に力を入れた。

しかし自分の目的は漢の復活だから、あくまで参謀なのだ。

感想

三国志どういうものか知らなかったから全体像知れたし、一気に読んでまうくらいおもろかった。

意外だったのは劉備が勢力拡大したのがだいぶ、最後の方ってことだ。

諸葛孔明が仲間になるまでは、夢を語ってるおじさんっぽかった

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