「裁かれた命 死刑囚から届いた手紙」(堀川恵子)のあらすじ、感想!!

あらすじ

1966年、強盗殺人で捕まった22際の長谷川武はさしたる弁明もせず、罪を認め、半年後に死刑判決を受けた。

そんな長谷川から、死刑を求刑した担当検事に手紙が送られる。手紙のやりとりをするうちに、検事の心は揺れていく。

死刑の意味を問うドキュメント作品です。

感想

以下感想です。

「もっと反省させてから死刑にしてほしかった」

本文の中に引退した裁判官の世間に対する不満が書かれている。それは死刑とは本来、最上級の償いであるはずなのに、そう思っていない人がいるということだ。

実際、死刑判決から2,3年で死刑執行された犯人の遺族は、「もっと反省させてから死刑にしてほしかった」と言ったという。

本来してはならない、人が人を死に足らしめるという行為。それを極刑の場合は最大限の償いとして認めているのだ。しかしそれが償いの意味を持っているのかわからない今、死刑の意味とはと考えているのである。

更に面白かった話が教育刑論と応報刑論だ。教育刑論は犯人を更生させようとする考え方。つまり社会復帰を目指しているため、死刑には反対の立場。

一方応報刑論は、悪いことをしたのだから、その分、バツを受けて当たり前という因果応報の考えだ。つまり死刑を支持している。

このような話を聞いて自分がどの立場か考える機会になった。自分は教育刑論の立場に立ちたいと思う。

確かに、この本にもあったように、犯罪者の中にはどうしようもない人間がいる。怒りで思わず死刑にしてしまえと言いたくなるような犯人もいる。

しかし、長谷川武のように死を待ちながらも、精神的に高みに達し、深い反省を言葉と行動で示す人間もいるのだ。

本文では「もはや長谷川武は社会復帰しても問題はない。反省の心を持って償いの日々を過ごせるだろう」という内容があった。

自分もこのような物語を読み、更生し、償いの生き方をできる人間がいるということからも教育刑論の立場でいたい。

 

愛に飢えた息子と愛の注ぎ方を知らない母

長谷川武は愛に飢えていた。しかし母親は愛はあったが愛の注ぎ方を知らなかった。なぜなら母親自身も厳しい家庭環境で過ごし、愛を知らずに育ったからだ。

くしくも、死刑判決が決まり、面会をするようになってから長谷川武は母親からの愛を感じることができたのだ。

母親が愛の注げていればこの事件は起きなかったのではないか。そんな気がしてならない。そして愛情表現の方法はノウハウと言えるのではと思った。

例えば小さな子供がリフティングが出きないとする。彼は練習する中で、「つま先を固定すればいいんだな」など、自分で学んでいきいずれできる様になる。

しかしコーチから「つま先固定するといいよ」と先に教わっていればもっと早く上達するだろう。

これと同じことが愛を注ぐ場合にも言えるのではないか。母親の役割とはなど、「母親」になるための知識を教育することで世の中はもっと素敵になると思った。

それは義務教育段階であるのか、大人になってから教育し直すという立場でやるのかわからないが、少なくとも、そのような学ぶ場を政府が用意したほうがいいと思った。

 

裁判が必ずしも真実かはわからない

自分の中で裁判とは丁寧に検証されて、真実によって人が裁かれているという思い込みがあった。

しかし神が人を裁くわけではなく、人が人を裁く。限られた情報の中で、裁判官が判断し、ひとを裁くのだから真実にできるだけ近づけることはできても、真実であるかどうかはわからないのだ。

また麻原彰晃の三女が書いた「止まった時計」にもあったのだが、検察側は証拠からストーリーを仮定し、それに沿って調べを進める。それ自体は問題ないのだが、それが行き過ぎたあまり、ストーリーと関係ないと思われることは重要でないと判断して、切り捨てたりすることがあるのだ。

これはまだ本当かどうか、わからないが今まで読んだ本の中では裁判所は世論によって流せれている節が見られた。

人が人を裁くこと。この時点で裁判は不完全なものだという当たり前の認識を持てた。

死刑執行に関わった人たちの苦しみ

死刑執行といえば、その処刑された人に焦点が当たりがちだが、その周りの人々の苦しみがあることを実感した。

例えば裁判官は自分の判断によって人の命が奪われるわけだ。本書では、死刑判決を下した裁判官が何人か出てきた。そのことを語りたがる人、思い出したくないと語りたがらない人などそれぞれであったが、40年たっても死刑判決のことを忘れているている人はいなかった。

また絞首刑は息が途絶えるのに4~5分かかることもあるのだそうだ。見ている側からしてもとてもきついものになる。

死刑判決を取り巻く苦しみは自分たちも国民として背負うべきであると思った。

裁判員制度も取り入れられている。私は事件に興味を持ち、事件を処理している人間に感謝したい。

 

知っておくと自慢できる豆知識

知っておくと自慢できる豆知識を紹介。

昔は死刑囚は小鳥を買うことが許されていた

なんと昔の死刑囚は小鳥を買うことが許可されていたんです。ペットが飼えたなんて意外ですよね。

また月に2回野球大会があり、そのときは所長や艦首も一緒に参加していました。さらに2ヶ月に一回は食事会。このときは豪華な食事が用意されどれだけ食べても良かったんです。

他には月に2回、テレビ化映画を見る時間もありました。なんでこんなにいい暮らしができたのか。それは死刑執行は健康な状態で行われるのが望ましいとされていたからです。そのため無期懲役者と、死刑囚では全く生活が変わるんです。

死刑執行は2年で来る人もいるし、10年の人もいる。そんな精神状態の中でメンタルがおかしくなってしむ人や、自分で命をっってしまう人もたくさんいたわけです。

それを防ぐために良い生活が与えられていたんですね。

裁判は誰でも無料で見れる

これも私は初めて知りました。例えば裁判の記録をした資料は誰のものかといえば国民のもの。それを検察が預かっているという認識なんです。裁判も誰でもみれます。

予約もいりません。ただし人気のある場合は並んだり色々するみたいです。私も今度いってみます。

 

ABOUTこの記事をかいた人

実績0→月10万を達成。大学生Webライター。うつ病×対人恐怖症→30万の情報商材を12分割で買う→5000円しか稼げない→Webライター開始→17日で収益5万達成→現在1年半。相談や悩みはお気軽にDMへどうぞ!