サラの鍵/タチアナ・ド・ロネ

内容

主人公:ジュリア・ジャーモンド
主人公:少女(たぶんサラ)

 

ヴェルディヴ:1942年、7月16日に起きたユダヤ人の一斉検挙。
屋内競技業に1万3千人ものユダヤ人が閉じ込められた。
2〜12歳の子供が4000人以上であった。

満足な食事を与えられず、トイレも使えないまま、6日間閉じ込められたのち、
アウシュヴィッツに送られてガス室で殺された。生還できたのは約400人。
ユダヤ人家族を検挙したのはフランス警察であった。

 

サラがヴェルディヴに捕まる。
→逃げ出して村人に助けられる
→部屋に閉じ込めてきた弟のもとに向かうが、腐って死んでいる
→人生をやり直すためにアメリカに飛び、過去を明かさず生きるも苦しみの末自殺する

 

ジュリアはジャーナリストとしてヴェルディヴから60周年の記事を書くためにリサーチする
→自分の夫の祖母の住んでいた家が、元サラの家であったことを知る
→その家にサリーが戻ってきて弟が死んでいることを発見する
→住み移ったときにはすでに死んでいたであろうが、祖父は罪の念に囚われ、お金を送り続ける
→ジュリアはサラの息子にあって真実を伝える
→新たな子供のことで夫と意見が食い違い、離婚する
→アメリカに住み移るも、どこかで虚しさを感じている。娘の名はサラ

感想

・二つのストーリーが交互に進む。それがこの本を読ませる推進力となっている。
片方が落ち着いてる時はもう一方が楽しみな展開であり、読み進めてしまうのだ。
また、それぞれ語り手が人物として独立できてるのがいい。

作品全体として雰囲気は一貫しているものの、明らかに視点が違うのがわかる。
例えば現代では鋭い洞察力を持っており、細かいところにも目につく女性視点で語られる。
朝井リョウや村田沙耶香を彷徨とさせる客観性のある人柄だ。

一方過去では子供視点。そのような分析する視点はない。
進撃の巨人でそれぞれの頭の良さが一貫しているところが素晴らしいと感じたが、同じものを感じた。

・海辺のカフカよろしく、この作品も例にもれず、中盤にて二つの物語が交錯し始めた。
この謎解き感が読み進める原動力となる。とくに誰がサリーなのか明かされていなかった。

少女と呼ばれており、1度目に明かされた名前は赤ちゃんの時のものだった。
そして、名前が明かされたタイミングでは胸が高鳴った。

・後半からはジュリアの視点のみで話が語られることになる。しかしそれでも面白い。
サラの夫の祖父は罪の念にかられており、ずっとお金を黙って送っていたこと。

その息子である夫の父も、その秘密を知っており、苦悩を味わっていたこと。
サラは20くらいになると、家を出てしまい全く連絡がつかなくなったこと。

そして結婚して息子もいたが、誰一人自分の過去を話していなかったこと。
そして手紙から、サラは毎日、弟を置き去りにした苦悩で苦しんでいたこと。
そして車で木に突っ込んで自殺していたこと。ジュリアの夫との関係性のこと。

夫と離婚した原因である娘にサラと名付けたこと。それが詳しい心理描写によって語られる。

・一瞬、子供も産んで夫も結局納得する流れになるかと思った。落胆した。
きれいな話はいらねえよと。しかし結局、夫とは別れ、シングルマザーとなり、

それなりに心に空虚さを抱えて生きてる感じで終わった。ここらへんの現実感も意識されていて好きだった。

 

・ハリーポッターを書いたJ・K・ローリングのように、ストーリーテリングの才能があると思った。ナチスドイツにまつわる話を事実として伝える役目を果たしながらも、小説として読ませる力がある。

ストリーテリングの天才である朝井リョウが歴史小説書いたみたいな感覚。

 

・解説に合った解説がその通り過ぎたので置いておく
まず素晴らしいのは、本書の中盤に至るまで、過去と現代を巧みに交錯させながらスト リーを展開させている点だ。作者はそこに二つの視点を用意する。

 

一つは、思いもしな けなげ 悲劇に巻き込まれ、恐怖に直面しながらも健気に生き抜いていく少女の視点。

もう一つ それから六十年後の現在、自らの暮らしの不協和音に悩みながらも、少女の運命に肉 薄していこうとする女性ジャーナリストの視点。

 

両者の織りなす立体的な構成が作品に奥 行きを生み、過去と現在がしだいに接近するにつれてただならぬサスペンスが読者を包み 込んでゆく。そしてとうとう少女とジャーナリストの軌跡がある一点で交わるとき、物語 は前半の衝撃的なクライマックスを迎えるのだ。

 

それは、時空間を自在に往き来できる、 小説という表現形式のみが持ち得る魔法のなせる業にちがいない。 物語は後半、少女のその後を現代に追うジャーナリスト、ジュリア・ジャーモンドの視 点に収斂されてゆく。

 

その段階に移っても物語が緊張を失わないのは、ジュリアの日常にひそむもろもろの陥穽と、それにたじろぎながらも前に進もうとする彼女の心理が、実にきめ細かく描写され ているからだろう。フランス人の夫との結婚生活の破局を予感し、婚家の抱える秘密に動揺しながら、“ヴェルディヴ” の犠牲となった少女との接点をひたむきに追い求めてゆく ジュリア。

 

そのプロセスが彼女自身の生き方の探求と表裏一体となって重なってゆくあた りに、この本を単なる歴史書にしたくないという作者の抱負が十全に生かされている。悲 劇は正しく”われわれの物語”へと深化していることを読者は知るはずだ。

 

そして物語は最後に、ある語らいを通して、静かな鎮魂の祈りに昇華する。そのとき少 こだ かけはし 女の名前は未来への梯となって、希望の谺を読む者の胸に響かせるにちがいない。

 

todo

・タチアナ・ド・ロネの8個目の作品だという。俺は今作っているコンテンツで人生上がり的なふうに考えているフシがある。しかし、何度でも作るものなのだ。俺もしつこくコンテンツ出していこうと思った。

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