羅針盤は壊れても
ではかんたが23歳くらいの時の話。
人足寄場ではなく、営業の仕事につく。
売り込み営業。ピンポーンして味噌をうる。
大学生の女二人がもバイトできていた。
店はどんどん経営悪化して、日当が払えない、だから週給、そして月給とかいう。
大学生女と店長が大激論をするのがみもの。
店長は非論理的、大学女は論理的。法律とか出してきて相手を法的になんとかしようとかする。俺みたいなやつ。
かんたがそれをみて、過去に店長とバトって店をやめたり、クビになってきた自分を見ているようだというのが面白かった。
客観視したんや。そして何と不毛なことがというのがおもろかった。
最後の話は昭恵もの。そのなかで私小説をはじめで書くところがある。
しかしうまく書けない。私小説でありながら、徹底的に自分を客観視する必要を知るのだ。
これを読んで、西村賢太はブランディングのプロなのでは?と思った。
てか絶対そう。
後悔たらこう思われる、こう思われないようにこうする、など徹底してる。
貧乏で即物的で非生産的って思わされてると思った。
だってインタビューとか読んでたら、実際はそこまで貧乏じゃなかったりするもん。
ええわ。
嬉々として、、ききとして
酒の肴、、さけのさかな
俄に、、にわかに