NARUTOを見返したら、涙が止まらなくなり最後にはちょっと嫌いになった話

ナルトは好きだったんだけど、内容をよく覚えていないので見返していました。

改めてみたら、メッセージ性あり、感動あり、エンタメありで最強でしたね。

以下、内容のメモ+感想です。

感想①

月の目計画
そもそも忍術は六道仙人が作った。そして広めた。
かつて六道仙人の時代には十尾がいた。六道仙人は十尾の人柱力として、封じ込めた。この世から災がさったことで、六道仙人は神として崇めたつられた。
しかし寿命とともに十尾の封印も解かれる。あた暴れるのを恐れた六道仙人は1〜九尾に分散させた。そして十尾の器は月となった。
マダラの考える月の目計画とは、マダラが十尾の人柱力になり、強力な導術を得る、自分の目を月に反映させ、人類全てに幻術をかけ、平和な世界を達成するというもの。
これが月の目計画。
これはエヴァンゲリオンと似ている。エヴァンゲリオンも世界から争いをなくすために、世界を一つの生命体にしてしまおうという考えがあった。
終わらない復讐の連鎖を終わらせる方法として「一つになる」というのは1つの解なのだ。
→月の目計画はみんながそれぞれの幻術に生きるということだったのでエヴァとは違うわ
次にナルトとさすけについて。六道仙人には二人の息子がいた。
しかし後継者?として弟を選んだことで、長男は恨みを持ち争いが生まれた。弟の子孫が千手一族。兄の子孫がうちは一族だ。
千手の初代リーダー、千手柱間は弟の生まれ変わり。うちはの初代リーダー、うちはまだらは兄の生まれ変わりなのだ。
弟の血筋に対して、兄の血筋は復讐する運命にある。
よって千手の血筋であるナルトとうちはの血筋であるサスケは戦うことになるのだ。
つまり二人も弟と兄の生まれ変わりなのである。
ナルトはフィクションで人を感動させることを極めた作品だと思う。それはそれは村上春樹が朝3時におきて12時まで執筆し、午後はランニングをして早く寝るといった職業的人生を送ってかきあげた作品に通ずるものがある。
特にくしな(ナルトの母)とミナト(ナルトの父)が、九尾から里を守るために誕生したばかりのナルトに九尾を封印し、命を落とすシーンは涙せずにはいられない。
最初はクシナが自分だけが犠牲になり、ミナトとナルトは生き延びるかに思えた。ミナトとクシナには幼少からのストーリがーあり、唯一的な愛があるのだ。そんな世界にたった一人しかいない愛する人が死ぬことのやりきれなさを感じ、どうしようもない虚しさを感じるのだ。そこには「人は死ぬ=永遠の別れ」という当たり前に浸透している考えがある。
クシナとミナトは個人の都合よりも自分の役割を果たした。クシナは人柱力としてミナトは四代目火影としての責任を果たす覚悟があった。「自分の息子には辛い思いをしてほしくない」と考えるのではなく、僕たちの子供として世界を救う救世主になって欲しいと願いを込めて九尾を封印する。利己主義的な俺も、他愛主義的な美しさを感じずにはいられない。
そこには個人的な狭い視点ではなく、高いところから今後の世界平和を考える人類愛が読み取れる。マンションの1階から見える景色と10階から見える景気は違う。志高く上に登った人間だけに感じられるかっこよさがある。
ペインたちのストーリーも魅了的だ。反政府的で世界の論理からすれば、悪とされるが、自分たちの正義に基づいて理想を追う。この孤独性と理想主義が神話的なストーリーを生み出し、人を魅了する。
彼らは日常的に「平和」や「愛」について語り、誰よりも本気で世界のよりよい形について考えているように思える。普通の人間は飯を食べ、人と遊び、よく寝ることで、世界について忘れる。忘れるからいきていける。しかし彼らは正面から向き合う(あわざるを得ない)。それは「人間の生きる意味」について正面から向き合い、一般の何も考えずにいきていける人たちとの隔絶を感じ、オウム真理教へと傾倒していった信者たちと似ている。
ここには身体性が不足している。論理で生きる意味を把握したり、正解を考えるから、うまくいかないのだと思う。
ナルトのテーマはいくつかあると思う。
一つは平和について。これは現在の世界を強烈に批判しているように思える。いや、ストーリーという武器を使って、世界のあるべき姿はこうだという自己主張をしているようだ。
争いについてだ。Aを殺せば、Aを愛していた仲間Bは復讐にかられ、Aの所属組織や仲間(C)を殺す。そうすればCは復讐にかられ、Bを殺す。
終わりのない復讐の連鎖だ。
復讐の象徴がサスケであり、うちはマダラであり、六道仙人の長男だ。
復讐の連鎖と解として、ナルトという作品は「信じる」ことを主張する。
「世界を1つにする」とは違うもう一つの解。信頼だ。
信じることの象徴がナルトであり、千手柱間であり、六道仙人の子供の弟だ。
この「平和」、それに関する「復讐」と「信じること」が大きなテーマ。
もう一つのテーマは「受け継ぐこと」。ここに関してはまだ良くわからない。しかし今の俺にはない考えだから興味がある。

感想②

オビトは死んでなかった。マダラが彼を広い、柱間の細胞を移植し助けていた。
オビトは体を鍛えて、里に変える努力をする。そこにかかしと、りんがピンチだという情報が入る。
急いで向かうオビト。しかし到着した瞬間に見たものは、かかしがりんを殺す姿だった。
カカシとオビトはこの時万華鏡写輪眼を開眼する。万華鏡写輪眼は写輪眼をもつものが、最も大切な人を失ったときに開眼するものだ。
オビトは現実が地獄だと悟り、マダラの月の目計画に賛成する。月の目計画とは世界中の人間に幻術をかけ、理想の世界で生きるという計画である。
マダラは千手柱間との戦いに敗れたが、柱間の細胞を移植することで生き延びた。そして寿命が近くなった時、輪廻眼が開眼した。輪廻眼とは六道仙人が持っていた目である。輪廻眼の海岸と同時に、外道魔像を口寄せできるようになる。外道魔像と十尾を入れる箱の役割をする怪物だ。
マダラは輪廻眼を千手の子孫であった長門に預ける。長門をマダラの代わりとなったオビトが口説いて暁が出来るのだ

感想③

NARUTOは感動コンテンツの最高傑作である。これは称賛であり、批判でもある。NARUTOが感動コンテンツの最高傑作であると気づいたのは現実をいきていても、夢の中にいてもどこかでNARUTOのことを考えている自分をみてだ。ジムで流れている北朝鮮の拉致問題のニュースをみて、必要以上に感傷的になり、トレーニングに身が入らない。
俺は体中に穴を開けられたちくわである。いきているだけで簡単にいろんな情報が穴という穴から入り込んでくる脆い状態なのだ。
NARUTOに感動しすぎたせいで、現実的な障害がでだした。
NARUTOはとにかく丁寧に作られている。丁寧とはなにか。小説家が作品で手を抜くことについて話していた。「昔の恋人と偶然、街で肩をぶつけて再開」としてしまうのは簡単。でもそこで手を抜かず「共通の友だちの結婚式があって二人は地元に帰ってきていた。いつもみんなで遊んでいた場所は一つ。そこに向かう女と、そこから帰っていく男は肩をぶつけた」とするかどうかなのだと。
いわゆるご都合主義がないということだ。俺はご都合主義があると作品に入り込めない。その点でNARUTOは最高だと思っていたのだ。しかしよく考えるとNARUTOは逆に丁寧すぎると思った。
NARUTOは半分以上が回想シーンでできている。とにかく一人ひとりの過去を、青春を、関係性を描きまくる。実際には5分しか進んでないのに回想シーンで1シーズン終わってしまうのがざらにあるのだ。
そしたらどうやっても感動してしまう。その人間が取る行動の背景をめちゃくちゃ知っているだから。
だからとにかく辛い。「こいつが死んでもなんとも思わない」キャラがいない。「みんな愛する人」なのだ。愛する人が死ぬたびに喪失体験、二度と合うことのできない死の虚しさに直面することになる。
それが逆に不自然に思えてしまうのだ。
実際、「この人が死んでもなんともない」って人がいるものだ。死んだらどうしようもなく悲しい大切な人なんて何人もいるものではない。
逆に現実的に思えない。いや、現実的じゃないというか、いろんな人の視点で描きすぎているのか。
感情移入している重要キャラしかいなくて、つらくてつらくてやってられない。普通、一人の人間にとって、大切な人がいて、大切じゃない人もいて。だからいきていける。
みんなが大切な人だといきていけない。一人の人間が許容できる感動量を超えてくる。
そう思ったらエヴァってちょうど良かった気がする

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