『実力も運のうち 能力主義は正義か?』マイケル サンデルの感想・レビュー

アメリカ経済の自主課題で読書感想文書いたので載せておく。

1.はじめに

私がこの書籍を選択した理由は、以前、マイケル・サンデルの対談をYouTubeで見て興味を持っていたからだ。

対談相手は小説家の平野啓一郎だった。内容はすごく興味があったものの、途中で視聴をやめた。

動画では結果は努力ではなく、運の要素が大きいことをデータを用いて解説していて、私は無気力を感じたのだ。

もう少し精神的に成長して、内容を受け止められるようになったときに読もうと思った。

そしてアメリカ経済論の授業で、先生がこの本を紹介した時、改めて挑戦したいと考えたのだ。

2.要約

●第一章:勝者と敗者

現代は民主主義にとって、危機の時代である。

外国人嫌悪の高まりと、民主主義規範の限界を試す独裁的人物への国民の支持の拡大にそれが見て取れる。

労働者階級などのポピュリストはエリートに対し怒っている。原因の1つは人種的、民族的、性的な多様性の高まりへの反発。

もう一つにはグローバリゼーションとテクノロジーの時代の急速な変化がもたらした困惑と混乱がある。

しかし最も大きな原因は主流派の政党のエリートによる統治手法だ。

主流派の政党は市場主導型のグローバリゼーションによる不平等に大きな機会の平等を訴えることで対処してきた。

機会が平等な社会では能力が許す限り出世できるという出世のレトリックもしばしば使われた。

だが出世のレトリックはもはや人々を奮い立たせない。現実では、貧しいものは大人になっても貧しいことが多いのだ。

能力主義は勝者におごりを、敗者に屈辱と怒りを生み出す。このような背景がポピュリストのエリートへの反乱につながっている。

●第二章:「偉大なのは善良だから」ー能力の道徳の簡単な歴史

能力に基づいて人を雇うことは悪いことではなく、正しい行為であるのが普通だ。では能力主義が毒を含むようになったのはいつからだろうか。

能力主義は西洋文化の道徳的直感に深く根付いている。

神は善行にはご褒美を与え、罪を犯せば罰を与えるのだ。能力主義と功績の問題が姿を表すのは救済を巡るキリスト教の議論においてだ。

天職における労働というカルヴァン主義の考え方がピューリタン的な労働倫理へと発展した時、その能力主義的な含意に争うのは容易ではなかった。

つまり救済は獲得されるものであり、労働は単なる印ではなくその原因であるとなったのだ。

この人間の努力と神による承認が結びついたことで、能力主義は加速していくのである。

能力主義は二つの面を持つ。

一つは傲慢な面、もう一つは懲罰的な面である。勝者は自分はその成功に値するのだと考え、敗者は失敗したのは自分のせいだと考える。

また能力主義が現在の国家に応用されていることが次のような言葉によく表れている。「偉大なのは善良だから」。

これはヒラリー・クリントンなど、歴代の大統領たちの何人かが口にしてきた言葉だ。

この言葉には「成功は幸運や恩寵の問題ではなく、自分自身の努力と頑張りによって獲得されるなにかである」という能力主義の核心が見て取れる。

●第三章:出世のレトリック

今日、我々が成功についてとる見解は、かつてピューリタンが救済についてとったものと同じだ。

つまり成功は幸運や恩寵の問題ではなく、自分自身の努力と頑張りによって獲得されるなにかである。

賢明に努力し、ルールに従って行動する人は才能と夢が許すかぎりの出世に値するという出世のレトリックは次第に政治の間でも度々見られるようになった。

また「功績」や「値する」という言葉が大衆文化の中で使われるケースも増えていった。

●第四章:学歴偏重主義ー何より受け入れがたい偏見

能力主義が顕著に現れるのが学歴においてだ。

学歴偏重主義の現代では、学歴が道徳的・政治的に武器となる。

知識を基盤とするグローバル経済において、競争できる素養を身に着けられるようにするために、主流派政党は教育こそ雇用喪失の対策への要であるとした。

高等教育の間口を広げることは、もっとも重要な政策的責務だった。しかしこれには副作用があった。

大学へいかなかった人が受けるべき社会的敬意をむしばんでしまったのだ。

労働者に大学の学位を得て暮らし向きをよくするよう絶えず求めることは学歴偏重主義を強める。

そして大学にいかなかった人々の社会的評価や経緯を損ねてしまう。また学歴偏重主義と密接に関わっているのが公言言説のテクノクラート的転換である。

政策決定が賢いか愚かかの問題で語られるほど、市民が議論を通じて実行すべき政策を決定できるようにするよりも、賢い人たちに物事を決めてもらったほうがいいということになる。

能力主義とテクノクラシーの失敗に向き合うことは、共通善の政治を再び構想するために欠かせない一歩である。

●第五章:成功の倫理学

能力主義が正義にかなうかどうかを考える。能力主義は人々の生まれよりも能力や功績を反映する点で正義にかなうように思える。

ただしダークサイドとして、敗者は言い訳ができないことがある。すべて自己責任となるのだ。能力主義社会が正義にかなうかは疑わしい。

能力主義にとって重要なのは、成功への平等な機会を誰もが手にしていること。能力主義の理想は不平等の解決ではなく、不平等の正当化であるからだ。

しかし能力主義では、私が才能を持っているのは幸運の問題であり、それを評価してくれる社会に暮らしていることも幸運の問題であることを考慮していない。

能力主義に変わる2つの考え方がある。1つ目は自由主義リベラリズム、2つ目は社会福祉国家リベラリズムだ。

自由主義リベラリズムの擁護論として影響力があったのはハイエクだ。一方社会福祉国家リベラリズムで有名なのはジョン・ロールズである。

両者とも意見は違うが能力主義を否定しているという点では共通している。

しかし2つのタイプのリベラリズムをよく検討すると、功績や手柄の拒否はそれほど徹底されていないことがわかる。

結局2つのタイプのリベラリズムともに能力主義的傾向を共有しているため、能力主義的傾向は、影響力を強めたのだ。

●第六章:選別装置

能力主義的な成功概念の中核をなす二つは教育と労働である。この章では高等教育がいかにして選別装置と化したかを示す。

名門大学を能力主義の教育機関に位置づけ、出自や経歴に関わりなく英才を募集し、社会の指導者に育てることを目的とする考え方を1940年代に明確に打ち出して影響力を発揮したのが、ハーバード大学学長だったジェームズ・コナントである。

高度な社会的流動性を達成するためにコナントは大学進学適性試験(SAT)を作った。

しかし社会はコナントが期待したような展開にはならなかった。SATの得点は富に比例することがわかっている。

大学入学の改革案はくじ引きで決めることである。勉強についていく資質のない生徒を除外した適正者の中からくじ引きで選ぶのだ。

●第七章:労働を承認する

本章では労働の尊厳を回復するにはどうすればいいかを示す。グローバリゼーション時代は高学歴者に豊かな報酬をもたらしたが、ほとんどの一般労働者には何ももたらしていない。

むしろ労働の尊厳を蝕んできた。その結果、労働の放棄と絶望死が増加した。では労働の尊厳を回復するにはどうすればいいのだろうか。

1つは低賃金者への賃金補助だ。2つ目は税負担を労働から消費と投機へと移行することである。

労働の尊厳を回復するためには、われわれの経済システムの土台にある道徳的な問いに取り組むことが必要だ。

3.論評

初めにこの本の核である能力主義についての自分の意見を記し、最後に具体的な行動案を提案する。

私はこの本でマイケル・サンデルが問題提起した能力主義の問題点は日本社会にも生まれていると強く思った。

例えば自殺の問題である。最近、テラスハウスに出演していたプロレスラー木村花の自殺をきっかけに芸能人が自殺するニュースが急増しているように感じる。

このような現状は能力主義の浸透と、SNSの発達により瞬時に多数の人間とコミュニケーションが可能な状況がマッチしたことで引き起こされているのではないだろうか。

つまり能力主義による怒りに侵された人々がSNSで芸能人の悪口を書き込み、それを見た芸能人も能力主義を知らず知らずのうちに信仰しているため、能力でしか自分の価値を判断できずに、病んでしまうのである。

他の例をあげる。近年、オンラインサロンが人気を博している。オンラインサロンとは大胆に一言で言ってしまえば「誰かのように成功したい人たちが、成功するためのありがたい話を聞く場所」だ。

例えば堀江貴文のようになりたい人が、堀江貴文の話を聞くために月々1000円を払うといったものだ。

しかし私はオンラインサロンに入ったとしても、ほとんどの人が堀江貴文にはなれないし、ほとんどの人が彼の10分の1の収入にも達しないと思う。

ではこのようにオンラインサロンが流行るのはなぜか。それも能力主義が浸透しているからだろう

。能力のあるエリートはやればできると考えがちだ。「あなたが成功していないのは正しい方法で努力していないからで、自分と同じことをやれば成功するはずだ」というのである。

しかし私はウサインボルトと同じ練習をしても9秒台で走れるようにならないだろう。

また中学校の部活では部員全員が同じような練習をしていたのに、結果には大きな差があった。

このように「やればできる」は間違いであることは自明にも関わらず、能力主義によって多くの人が「自分もやれば同じようになれるかも」と思いオンラインサロンに入るのだ。

ここまで能力主義が日本で浸透し問題が起きていることについて記した。では能力主義をやめ、生まれや性別で評価される社会に戻るのがいいのだろうか。

これについてマイケル・サンデルもいっているように、生まれや性別で評価される社会に戻るべきではないと思う。

機会の平等はあるべきだ。しかし機会の平等は貧富の差を是正するものではなく、肯定するものなのだ。

私は貧富の差を受け入れた上で能力はその人の価値を決めるものではないという考えが浸透する社会目指したい。

そのためには能力主義の問題点の自覚が必要だ。能力主義の特徴は差別していることに気が付かない点である。

気がついていないことは改善できるはずがない。ではどのように能力主義の問題点の自覚をさせるのか。

私はこの本の内容を中学生でもわかるように簡単にした本を教育現場に配布するべきだと思う。

今から記すのはアンデシュハンセンという精神科医の話である。世界中で精神疾患が増えている。

スウェーデンは2000年と比べて睡眠について受診する人の数が8倍になった。

アンデシュハンセンは「スマホ脳」という本でスマホのメンタルなどへの弊害をまとめ、世界的なベストセラーを作った。

続いて「スマホ脳」を簡単にし中学生でも読めるようにした「最強脳」を出版。

最強脳はNPOを通じて、希望した学校に無料でとどけられ、人口1000万人のスウェーデンで11万6千人の生徒が受け取っている。

アンデシュハンセンのもとにはスマホの弊害に気づき、改善した人たちからたくさんのメッセージが届くという。

私は「スマホ脳」と同じことをこの本でもやるべきだと思うのだ。そうすれば自覚が生まれるはずである。

事実私は、この本を読んだことで自分が能力主義に侵されていることを自覚し自分の生き方を顧みることになった。

これが私の考える行動案である。

ちなみにこの動画超わかりやすい

ABOUTこの記事をかいた人

実績0→月10万を達成。大学生Webライター。うつ病×対人恐怖症→30万の情報商材を12分割で買う→5000円しか稼げない→Webライター開始→17日で収益5万達成→現在1年半。相談や悩みはお気軽にDMへどうぞ!