日曜日は大学がやっていないので、図書館で作業をした。
夏休みは真の文学青年へのレベルアップを目指すべく本をたくさん読むときめた。
なので本を見たのだが、これが表に出てた。
たしか受験期かなんかに発売されたけど、その時は忙しくていつか読もうと思っていた本だ。
借りた。
後で読もうと思っていたのだが、さっそくその日に読破することになった。
今日12時に起きたせいで寝れなかったのだ。
内容
内容は主に父について書いてある。
村上春樹の父について、まぁまぁ村上春樹の情報にアンテナを張っているが、今まで聞いたことがなかった。
村上春樹の家には猫がいたけど捨てることになった。なぜかは忘れたらしい。
しかし父と猫を捨て戻ってくると猫が出迎えた。
自転車でまっすぐ帰ってきたのに猫の方が早かったのだ。
唖然たした。
そんな記憶から話は始まる。
父は1917年生まれ。ちょうど青年期に戦争を体験し、貧困の戦後を生き抜いてきた人間である。
毎朝小さな仏壇に必ず念仏を唱えるのがルーティンだったようだ。
誰に対して祈っているのかというと、戦争で死んでいった仲間たちと敵であった中国人にだそうだ。
祖父は仏教の結構偉い住職だった。だから父は高校は当たり前のように仏教系に通い、大学は京大に行った。
学問が好きだったようだ。
結局3.4度徴兵をされ、戦争に行った。目の前で中国人を略殺したところを見たらしい。
怯えもせず声も出さず首を刎ねられた中国人を見て尊敬の念を抱いたのだそうだ。
これは父にとって大きな体験で、息子の村上春樹にも話したわけだ。
村上春樹は幼少期にこの話を聞き、いわば疑似体験を沙をしたといえる。
父のトラウマを息子が引き継いだのだ。
ここで村上春樹の文を引用する。
「父の心に長い間重くのしかかってきたものを息子の僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心のつながりとはそういうものだし、また歴史とはそういうものなのだ。その本質は「引き継ぎ」という行為、あるいは儀式の中にある。その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?」
ここについて思うところがあるので後で感想を書く。てらくにも意見を聞きたい。
村上春樹は父に負い目がある。父の期待に沿えなかったという気持ちである。
父からすれば村上春樹は「なんでなににも邪魔されず好きなだけ勉強できるのに勉学に打ち込まないんだ。」という気持ちがあったのだろうという。
ここで初出しだと思う情報があった。
村上春樹は大学生で結婚して店をやっていた頃、父と意見が合わなくなり、絶縁していた。そして、その後20年以上会うことはなく、会うことになったのは父が90歳近くで亡くなる直前だった。
そこで一応和解したらしい。
また過去についての記述がラストにあった。
「我々は結局のところ、偶然がたまたま生んだひとつの事実を、唯一無二の事実とみなして生きているだけのことなのではあるまいか。 言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき 一滴に過ぎない。 固有ではあるけれど、 交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。 我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう 言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそと。」
あと後書きにこれ
「歴史は過去のものではない。それは意識の内側で、あるいはまた無意識の内側で、温もりを持つ生きた血となって流れ、次の世代へと否応なく持ち運ばれていくものなのだ。そういう意味合いにおいて、ここに書かれているのは個人的な物語であると同時に、僕らの暮らす世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもある。ごく微少な一部だが、それでもひとつのかけらであるという事実に間違いはない。」
感想
短くて読みやすいのと、初めて知ることも多くて村上春樹ファンとしては面白かった。
ただ過去や歴史についての考えはよくわからなかった。なぜ歴史の本質が引き継ぎにあるのか。
そうでなければ歴史の意味はどこにあるのだろう?と村上春樹はいうが、なんか違和感を感じた。
でも友達Aと話して理解を深めたら納得しそうな内容でもある。
最後の後書きの考え方はどんな人生もこの世を構成している一部だから、意味あるよって思いやすくていいなとは思った。
とはいえ、この考えをなんていうか知らないけど、ひとりの人生に本来意味なんてなくて、人間が都合の良いように意味を見つけているだけっていうリアリスト?的な感覚が強いわ。
友達Aと話した
話しているうちに整理できた。
村上春樹が過去を尊重しすぎてることに違和感を感じていたのだ。
自分は最近、アドラー的な考えによっていた。つまり目的論(そのままの状態が楽だからそうしている)だ。
また、今に集中する考えでもある。
俺はその考えが主体的でいいなと思ったから、採用していたんだ。
だからあんんまり過去とか未来のことを無視する習慣ができつつあった。
そこですっげえ過去のことを大事そうに語られたから、「うっせえ」と拒否反応をおこしたんだな。
よくわかった。