内容
「自分ではどうにもならない状況でもできることがある。それに対してどう反応するかだ。」
これはザンペリーニという映画化もされたある有名な男から学んだことだ。
彼は日本の捕虜収容所に入れられ過酷な時間を過ごしたが、希望を失わなかった。
①習慣
良い習慣を増やし悪い習慣を減らそう。習慣にすれば、頭のエネルギーを使わないので、大事なことにエネルギーを使える。
というのが基本的な論理だ。
習慣は合図と報酬で作られる。これやったらこういう嬉しいことがあると脳の回路をつなげることが大切だ。
注意点は目的と行動を混同しないこと。朝早く起きるは目標で、カーテンを開けるようにするは行動だ。
②希望を持つ
希望を持つ。「明日はもっと良くなる」と思うことだ。
希望を持つには「自分の力で何かを変えられる」と思うこと。
希望によって人は意欲的に、前向きになれる。
③健康
④コントロールする
「自分の力で人生を切り拓いている」という実感がレジリエンスにつながる
⑤ユーモアを大切にする
不愉快なことを視点に変えてみてみる
面白いことを探す
感想
困難に対してどう反応するかは選べるという内容について。これは夜と霧の作者、ヴィクトールフランクルの初期の作品、それでも人生にイエスというでも書いてあった。
寝たきりで文字も書けない、口も動かない、こんな状況を想定して、幸せになり得るか?を検証していた。
ヴィクトールも困難に対する態度によってる
②希望を持つ
の感想。
かなり刺さった。「自分の力で何かを変えられると思うこと」によて希望は持てて、意欲的に生きられるという論理についてだ。
私は最近、諦観の態であった。おそらくきっかけは、アメリカ経済学の課題で読んだ、「実力も運のうちか」がきっかけだ。
その本には「才能で決まっている部分があるのに、全て自己責任になっている今の世の中は危険だ。強者は弱者を努力していない人間と見くだし、弱者は自分が頑張っていないからだと思うしかない。」という事が書いてあった。
また努力できるかどうかも遺伝子で決まっていることは脳科学でコンセンサスが取れていると知った。
それからこの論理に対する納得を深めた。たとえば、周りを見て、高校受験で頑張れなかった人は、大学受験もがんばれないし、そこそこの人はそこそこの努力をしていると思った。
「偏差値の序列がほとんど変わってないやん。やっぱ生まれつきできまってんねんなぁ」となった。
このような思考から周りの人間に対しても否定的に見ることも増えた。たとえば「40才無職、ビジネスで人生逆転します」みたいなTwitterをみたら、無理って思った。
これは極端にしても、自分が変われると期待を抱いている人を見ると、「何度も決意はするけど、努力ができないっていうループを繰り返してきたんだろう」と思うようになった。
そういう変わった後の姿だけみて、間の努力をすっ飛ばしてウキウキしている人を見ると、否定したくなるのだ。
しかしこれは俺にも悪影響があって、意欲が減っていたと思う。
「すでに決まっているものがあると、受け入れた上で希望を持つ。変えられるところに注目する。」
これがいいのではないか。だってこれなら成果を「自分のおかげだ」と思わずに、意欲手に生きられそうだから。
変えられる部分がある時点で、「自分の力で何かを変えられる」っていうのは事実だしね。
途中で飛ばしまくった。
なぜなら自己啓発感が強くなってきたから。
どういうことかというと、論理的な説明や、科学的データが少なく、実現可能性が低い内容が多いという感じだ。