2008~2013年に放送されたドラマ。
めっちゃおもしろかった。内容はがんを宣告された化学教師ウィルター(50歳)が家族にお金を残すために、麻薬を売る話。
最初は頭はいいけど、なんだか頼りない、雄としては弱そうな男だったウィルター。しかし麻薬の世界に入り、どんどん才能を開花していく。命をかけ麻薬を製造し、そして命を狙われる生活を一年間すごしたころには、顔つきも変わり自分の主張をはっきり通すようになり、怖さや貫禄を感じさせる男になっていた。
ハイゼンベルクと名のった彼は、その一体を仕切っていた麻薬王を倒し自分がボスとなった。相棒には必要悪だと説得しながら、自分自身を納得させながら、人を始末するなど悪いこともやって、最終的には麻薬王になる。
人生が10回あっても使い切れない巨万の富をてにいれるわけだが、それまでに払った犠牲は大きすぎた。大切な家族や仲間を蝕んでいたのだ。
まさに海外ドラマを見たという感じがした。僕が言う海外ドラマのイメージはウォーキング・デッドを見た体験からできている。
つまり、ありとあらゆる展開を用意し、次の話をみさせることに優れている作品。とんでもない没入感でシリーズ全て見終わるまで、他のことができなくなるくらいに依存させる作品だ。
実際この作品も一週間くらいで5シリーズ全て見た。
この海外ドラマの感じはアニメや純文学を見るのとはまた違う感覚だ。その要因は海外のドラマの作り方にあるのではないか。海外ドラマはすごく商業的だと感じる。
最初からシリーズ5話までの構想があったのではなく、シリーズ1が売れたからお話を作っていった感じがする。実際、そうなのだろう。
感覚としてはバラエティ番組に近い。
バラエティ番組を見て
この番組は自分のための作品だ
このバラエティに救いを求めている
何かを人生を買えるような要素を学び取りたい
という気持ちにはなかなかならない。
ただ楽しく没入する。しかし見終わった後にはそこまで何も残っていないことがおおい。
娯楽性が高く、芸術性は低いのだ。
反対にアニメや純文学を鑑賞した時は芸術性が高いと感じる。
作品が売れたから続けるではなく、この作品として終わるべきときに終わるという感じがする。
この作品は自分のための作品だ、自分の人生の座右の書にしたい、この作品に救ってほしいという欲求が湧いてくる。
作品に愛が持てる。
つまりアニメや純文学、特に純文学には人がアートに求めているものと、同じものを感じる。
まあアニメは娯楽と芸術の半々かもしれない。進撃の巨人なんかは一切無駄に引き伸ばした構成があると思わなかったし、全てが必要不可欠で芸術的だと感じた。その一方で娯楽的な面も感じてとても、見やすい。
この両立がアニメの魅力でもあるのかもしれない。
まとめると
・娯楽的:海外ドラマ
・真ん中:アニメ
・芸術的:純文学
ということだ。
これらに上下はない。何か救いがほしい時は純文学を読むし、自分の人生を肯定も否定もされたくなく楽しみたいだけの時は海外ドラマを見たりもする。