棺に跨る/西村賢太の感想・レビュー

「どうで死ぬ身の一踊り」「蠕動で渉れ、汚泥の川を」に続きまたもや西村賢太作品。

どの本もタイトルがかっこええ。

今回は四つの短編、といっても内容は繋がっているのだが、からなる私小説。

「どうで死ぬ身の一踊り」は北町貫多が30前後の時の話だっが、この本はその続きである。

と言っても期間としては重複しており、「どうで死ぬ身の一踊り」では省かれていた日の話+少し先のことまで書いた感じだ。

内容

まず読んで思ったのは「蠕動で渉れ、汚泥の川を」とは結構雰囲気違うなということ。

「蠕動で渉れ、汚泥の川を」は17歳の北町の話だったのだが、より自意識が強くてより社会性がなくてめちゃくちゃだった。

30の北町がマシに見えてきたのだ。

とはいえどんぐりのせい比べでしかない。

基本は秋恵に暴力を振り、助骨にヒビが入り、捕まりたくないのと別れたくないので気を揉む話がずっと続く。

その後、またとんでもない暴力を振るい秋恵は出ていった。

落胆。

しかし後日するりと家に戻ると、元の優しい秋恵に戻っているのだ。

貫多はそれに気を良くする。

しかし毎月29日に行っている彼の崇拝する藤澤清造の墓参りをするため一泊二日の度にでで帰ると、そこには秋恵だけでなく秋恵に関する全てのものがなくなった部屋があった。

置き手紙には「もう無理です。」との文字が。

そこで物語は終わる。

後書きにあったが、やはりこの本は「どうで死ぬ身の一踊り」の後日談であるらしい。

やっぱな。

以下感想。

秋恵が元の元気な秋恵に戻ったのは明らかに別れを決意したからである。

自殺志願者が自殺幇助会員になり死にたい時に死ねる状態になった瞬間、いきいきとしだすのと似ている。

いやちがうか。

まぁ〜面白かった

語彙

些か、、いささか。
やたけたな、、自暴自棄な
呪詛、、じゅそ。呪うこと、呪い
嗟歎、、さたん。なげくこと、感心して褒めること
狷介、、けんかい。自分の意思を曲げず人と和合しないこと。
瞠目、、どうもく。目を見張ること
袈裟懸け、、けさがけ。僧侶が来ているやつ。
庫裡、、くり。寺院の食事を準備するところ
業腹、、ごうはら。腹が立つこと
俄な、、にわかな。
抉る、、えぐる
忌々しい、、いまいましい。
恰も、、あたかも

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