エッセンシャル思考
「より少なく、しかしより良く」というエッセンシャル思考についてこれでもかと説明している本。たくさんのことを言っているわけでもなければ、珍しいことを言っているわけでもない。
ただ散々言われてきた内容を、「より少なくしかしより良く」という視点からまとめ直し、いかにエッセンシャル思考が大事かがわかるようになっている。
だが読了後から時間が経つにつれ、エッセンシャル思考がどれほど重要なことなのか実感している。たとえば堀江貴文、成田悠輔、朝倉未来、萩原京平などの仕事ができて、結果を出している人間は完全にエッセンシャル思考を体現しているとわかった。
そして彼らはときにカリスマになれる。なぜなら何かをえるために8割の瑣末なことを捨てることはタフなことだからだ。
私も実際にこの本を読んでから思考回路が変わったと感じる瞬間が多々あった。たとえば私は毎日、気づいたことや、学び、考えたいことをノートに書いている。そして重要な学びと思ったものは別のノートに一元化していた。
しかしこれは無駄だと思った。なぜならたいてい、エバーノートというデジタルノートにメモした内容をもう一度書いているだけだからだ。
このように当たり前にやっていたこと対して「これは本当に重要なことか?」「これは成果につながっているのか?」と問うようになったのだ。
エッセンシャル思考とは
エッセンシャル思考とは自分の力を最大限に結果につなげるための考え方である。それは多数の瑣末のなから少数の重要なことを選び続ける、トレードオフ(何かをえるには何かを捨てなくてはならない)を直視した生き方である。
簡単な話である。全部をやろうとする人は全部が中途半端でどこにもいけない。価値のないほとんどのことを捨て、重要な少数に集中することで遠くまで行けるということだ。
だがこの簡単な話を実践するのは難しい。なぜなら人間は「あれも重要なのでは」「あれもやっといたほうがいいのでは?」と考える生き物だからだ。
だからこそ実践できたものは大きな結果を得られるし、大きな結果を得ているものは実践できているのである。
最も厳しい基準で決める
「絶対にイエスと言い切れないなら、それはすなわちノーである」
断ることについても意識が変わった。この本では90点ルールを採用せよ書かれている。絶対やりたいと思ったこと以外はすべて断る。「絶対やりたいか」「やりたくないか」の二択にしようという話だ。
たとえばククローゼットの服を考えてみよう。
「いつか着るかもしれない」という緩い基準でいると、クローゼットはほとんど着ない服でいっぱいになってしまう。
しかし「この服が大好きか」という厳しい基準にすると、もっと好きな服をしまうためのスペース生まれる。
どうでもいいことを捨てられずにいると本当の重要なことをする余裕がなくなってしまうのだ。
20点のものを断るのは誰でもできる。しかし70点、80点を断れる人たちが本当に重要なことに集中し、人生を豊かにできるというのだ。
この考えに一定、納得した私は、70点くらいの楽しみであった旅行を2つ断れた。
70点の旅行をしていたら、「死ぬほど楽しかったわけではないけど普通に楽しかった。だから後から何度も『楽しかった』と連呼し、ラベリングの結果楽しかった思い出にする」ということをせずに済んだわけだ。
また本の読み方の意識も変わった。もともと本は3つのToDoを得られればOKとしている。最初に目次や全体像を見て、私はこの本から何を学びたいのかを決める。そして期限も設定する。
学びたいと思ったところ以外は読み飛ばすという読み方だ。読書術の第一歩は「本は最初から読まなくてはならない」という固定観念を壊すことから始まる。
だが、読んでいるとどうしても「こっちも大事かもしれない」とカットしたところも読もうとしてしまう。
これはスマホを触ってしまう原理と同じで、「重要な情報がるあるかも」と考えるとき脳にはモチベーションのホルモンドーパミンが出るようようになっているからなのだ。
まあ私達人間の原理原則なのだが、この「こっちも大事かもしれない」という思考こそ、非エッセンシャル思考である。「こっちも大事かもしれない」と考えていたら本当に重要なことをする時間がなくなる。
実際に3つ以上ToDoを得たところで、忘れるし実行できない。ToDoが多すぎるとと全部の行動が中途半端になり、三ヶ月後には忘れているのである。
これは私が過去に犯したミスでもある。私は3つに絞ってからToDoを覚えているようになったし、実行できるようになった。今年読んだ本のToDoをいえと言われてもいうことができる。
読書のおいても本当に重要な上位2割に集中し、8割をカットする勇気が大切なのだ
孤独な時間をもつ
瑣末な多数の中から重要な少数を見極めるには孤独な時間をもつことが必須だ。
ここで「考える時間をもつのが大事なのはわかるけど忙しくてね」と考えてしまうのもしょうがない。とりあえずなんでもやってみてから考えるのがエッセンシャル思考で、私たちはエッセンシャル思考を深くまで浸透させているからだ。
孤独な時間を使って何をするか。
本質的な問題を考えるのだ。
1年後3年後、5年後の人生について考える。現在の仕事ついてもっと良くならないかと考える。
そういった時間だ。
具体的な効果は下記の2つだ思う。
①優先順位が明確になる+優先順位を忘れない
②FB
優先順位がわかっていると自分の人生を生きられる。しかし私たちは1月1日にたてた目標を忘れてしまうように人生の優先順位も忘れてしまう。結果としてどうでもいい友だちからの誘いを断れず、自分の優先したいことに使えたはずの自分の時間を失う。
孤独な時間をもてば優先順位が明確になるし、何度も考えるので覚えていられるのだ。
またFBもそうだ。FBをしなければ、回し車を走るハムスターのように同じ位置にいるだけである。FBをするから螺旋階段を登るように成長していけるのだ。
このように孤独な時間は生産性を上げる。そして具体的事例で持って私はそのことを知っている。
この前通話した女の子は14時間ブライダルでバイトをしていた。「しんどい」というので「なぜそんな仕事をやっているのか」と深ぼってみてたが、曖昧な返答しか返ってこない。
彼女は「現在の仕事について」考えたことがなかったのだ。このように忙しさに追われて考える時間を持たなければ、「違うアルバイトを検討しよう」「シフトを調節してもらえるか相談してみよう」などのFBが起こらない。
よってとんでもなく生産性は落ちる。というか大きくか改善できるのに、気付かないことになる。
ToDoとして私は散歩を習慣として復活させた。人生について考え、仕事について考え、遊びについて考えているが最高である。
名言や心に残った考え
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「何か」にイエスということはその他全てにノーということである
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全部を優先する人は何も優先していない
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重要な少数は、瑣末な多数に勝る
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非エッセンシャル思考の人はとにかく目の前のことに反応する。エッセンシャル思考の人は調査と検討にたっぷり時間をとる。
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ささいなことに気を取られ過ぎると、大局を見失う。
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要点に目を向ける訓練をすると、これまで見えてこなかった物が見えてくる。単なる事実に反応する代わりに、その意味の本質を見抜くことが可能になるのだ。
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「絶対にイエスと言い切れないなら、それはすなわちノーである」
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「自分は何が大好きか」「自分は何に向いているのか」「どうやって世の中の役に立てるか」これゆうせいがフレームワークで紹介していた自己分析でやることだ。
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ほとんどのことは無価値である
3つの気づき
・ほとんどのことは無価値である。少数の重要ななにか?と問おう。
・絶対にイエスと言えないならのー。どうでもいいことでいっぱいだと、本当に重要なことをする時間がなくなる。
・孤独な時間をもつ。そして人生の本質を考える。そうすると優先順位が明確になるかつ覚えているし、Fbできる
3つのToDo
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孤独な時間をもつ(散歩をしながら本質的な問題を考える)
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ボトルネックを取り除く。(ボトルネックとは全体の足かせになっている部分のこと)〈ボトルネックの見つけ方〉1目的を具体的にする2「仕事をやる上で邪魔になること」を列挙3優先順位付けてボトルネックを特定
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早く小さく始める→1日、16日に10分だけ記事に手を付ける。
関連本
・モチベーション3.0
・人生を変える80対20の法則