『聖の青春』大崎善生の感想・レビュー

これは西の怪童とよばれ、羽生善治とライバル関係にあった天才棋士「村山聖(さとし)」の物語。

村山聖の病気

村山聖はネフローゼという難病に5才のときかかった。ネフローゼとは尿からタンパク質がどんどんでてしまい、体のタンパク質が不足する病気である。

これにより
・体中がむくむ
・免疫が弱く、すぐに風邪にかかりやすい
・疲れすぎると高熱が出る
といった症状がある。

幼少期

養護学校で過ごす。隣のベッドの少年が夜中中、喘息でのたうち回り静かになった次の日、少年は部屋から運び出された。

次は自分の番かもしれない恐怖を抱えながらありやまる膨大な時間をベッドの上で過ごす。

普段の生活

奨励会に入った後は、将棋とミステリー小説と少女漫画に没頭した。部屋は布団がある以外は小説と漫画で埋め尽くされており、収入のほとんどを海外の貧しい子どもたちに募金していた。

そこには幼少期の簡単に死んでいった友達に対する「自分は生きて将棋を指している」という罪悪感のようなものを払拭するためでもあったという。

蛇口の音で生死を確認する

将棋で負けた後はよく寝込んだ。疲労により40度の高熱が出て一歩も動けなくなるのだ。暗闇の中で何も食べず、3日ほど寝込むのだが、蛇口だけは少し開けておく。

目を覚ましたときに音もなく、視界も暗いと、自分が今生きているのか死んでいるのかわからないのだ。

そんな生死の間にいるようなことが日常的にあった。

「20才になりました。」

師匠の森が雀荘にいると、村山がやってきて、こういった。

「20才になりました。」

20歳まで生きれると思っていなかったから嬉しかったのだという

奨励会入会からプロ入りまで2年11か月

村山は体調不良で不戦敗があったにもかかわらず、羽生善治や谷川浩司よりも早いスピードでプロ入りを果たす。

その後も体調に苦しみながら名人を目指すが、A級でその人生を終える

「……2七銀」

死の間際、意識が朦朧とする中でも寄付を諳んじていたという。最後の言葉は「……2七銀」だった。

感想

一つのことに真剣に取り組むこと

村山聖は結婚に尋ねられたときこういったという

「結婚はできん。早く死んで悲しませることになるから。」

村山は多くのことを諦めてきた。その結果、29年という人生を充実させ、こうして私達を感動させているのだと思う。

今の時代、選択肢に溢れている。今こそ「諦めること」が大切になっているのではと思った。

人間は悲しみ、苦しむために生まれた。

村山が死んだ後、父は村山の部屋を整理していた。すると22才のときに書かれたであろうメモがでてきた。

「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。

それが人間の宿命であり、幸せだ。

僕は死んでも、もう一度人間に生まれたい。」

ネフローゼという病気を持って生まれてきた人生を全肯定する考え方である。

これは夜と霧の著者、ヴィクトール・フランクルに通づる考えだ。「死や苦しみがあるから人生に意味があるのだ」と彼も行っている。

このような精神性に到達した村山に大きく感動した。

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