殺人出産
10人子供産んだら1人殺せる世界。今から100年後の設定。女は生まれたら子宮を閉める?のが当たり前になってて、セックスは愛と快楽のためのものになり、妊娠とは乖離した。
そのため少子高齢化がより進んだ。なので、出産への強い動機として殺意が用いられた。
産み人になった人は、毎年1人子供を産み続け、10人産んだ時点で1人殺せる。
生まれた子供はセンターに預けられ、幼い頃にもらわれていく。子供は自分で産まずにセンターからもらうことも最近当たり前になってきた感じ。センターの子供は人類の子供という価値観が広まってる。
ちなみに、殺す時は、役所に殺す人を提出。指名された人は死に人として、通知がくる。1ヶ月間は猶予があり、1ヶ月後、眠らされた状態で産み人の前に届けられ、施設内で、12時間自由にしていい。大概は原型がなくなるらしい。
死に人が死んだら、葬式が行われる。そこでは白い服を着るのが決まりで親族にはありがとうございましたという。
この10人産めば1人殺せるというのは、人類が存続していくために殺意を利用した制度だから、人類のためにありがとうということだ。
あと産み人は男もなれる。人口子宮をいれ、毎回帝王切開する。しかし女性に比べて負荷も大きく途中で死ぬ人も多い。
途中で死んだ場合は人は殺せない。ただし10人産んだ後に死んでしまったら、代理人がちゃんと殺す。
1ヶ月の間に死に人が逃走したり、産み人を殺さないように監視がつく。
ただ自殺は自由である。
産み人になることは、褒められることという価値観がある。
ここまでが設定である。
主人公の女は28くらいのol。姉は産み人である。姉は昔から殺意が抑えられなかった。そこには性的倒錯もまじってる。
他人を殺せないからとリストカットをしまくってた。妹である主人公はその姿をよく見ていて、バンソーノーを貼ってあげてた。
でも、その傷がかわいそうだから、主人公は動物を持ってきてあげるようになった。
姉は発作のたびに動物を殺した。さいしょはありとかあめんぼとかをつぶしてた。
時代にカエルとかセミとかを解剖したりしてた。
そして17の時に産み人になると宣言した。
そんな姉がいる。
主人公のOL仲間が突然死んだ連絡が来た。死に人だったのだ。その女は親が不倫して生まれた子供だったから、捨てられた女が恨みで死に人に選んだのだ。
産み人の話をしても「殺したい人はいるけど10人産むなんてきついですよー。殺意は一時的なものだしそこまで頑張れないなー」とか言ってた。
でもその時には既に通知は来てたはずだ。
職場に新たな女がきた。最初は仕事できるやつだと思ったら、「あなたのお姉さん産み人でしょ?」と言ってきた。誰にも言ってないのに。
その女は産み人なんて制度間違ってる。この世界は地獄だ。という、いわゆる俺たちの時代の価値観を待った人で、姉に合わせろという。
地獄にいる人の声を聞いて救ってあげないと見たいな。ある団体に属していて、新興宗教的に描写されてる。
結局合わせるが、姉は苦しんでなかった。自ら望んで入ったのだから。
宗教女はこんなのあり得ないって感じで出て行く。
そして姉は10人産んで死に人を決める。
宗教女にした。
誰でもよかったのだ。だが、苦しそうだったからその人にした。
主人公も12時間自由にしていいよの部屋に入る。姉が衰弱してるから付き添いで。
一緒に眠っている宗教女の腹にナイフを刺して殺す。
そこには世界が広がっていた。
これが正しい世界だと思った。
2人は感動で涙する。
主人公は私産み人になる姉に告げる。
終わり
トリプル
トリプルというのは3人で付き合うことだ。親世代からやふしだらだ3pだ、乱行だと嫌悪されている。
しかし若い世代ではカップルの方がマイノリティになってる。
やり方はただ声をかけるだけだ。好意を抱いた相手に話しかけるのは自然なことだということだ。
んでキスは3人で120度ずつわけてする。
セックスは1人の人間がマウス役になる。マウス役は動けない。
そして、2人はマウスの穴という穴に突起物を突っ込む。
指とか足とか唾液とかを、マウスの口とか耳とか目とか、肛門とかに。
マウスはただの穴となり、2人はただの突起物となる。
それがトリプルのセッスクだ。
主人公の女は2人の男に惹かれてトリプルになる。
だが親に携帯を見られて喧嘩になる。この売女!色情女!産まなきゃよかった!って言われてた。
家を飛び出して友達に連絡する。連絡に出ない。家に行く。そのこはカップルだが、せっくすを見てしまう。
始めてみるカップルのセックスにはいてしまう。
性器だけに固執して執拗に出し入れし、口だけが性感帯かのように行うセッスクに気持ち悪さを覚えたのだ。
私はあんな行為から産まれてきたの?
トリプルたちをよんで慰めてもらい、清めて!と言って公園でセックスして、絶頂しておわり。
感想
それぞれの正しいがあるということを伝えるためだけの小説であった。
今まで村田沙耶香の長編しか読んでなかった。
しかしこの小説は短いから、より彼女のエッセンスだけを感じれた感じがした。
中村文則は読書をしていたら差別主義者にはならないといっていたが、まさにそんな小説だな。
マイノリティや、世の中の常識で生きられない人、常識に染まらず理解されないことをとうに受け入れ自分たちの世界を享受したがっている人達が出てくる。
現実で変な人にあっても、こんな背景があるんじゃないか?と考えてしまう創造力を拡大してくれる小説だ。