2015年にノーベル文学賞を受賞した人の作品。
すごく読ませる。なぜかすごく刺さる文章が多い。まだ内容をきちんと理解していると言えない。しかしとても重要なことが、書かれている気がし簡単にスルーしてはいけない。
そう思わせる。ヴィクトール・フランクルの「それでも人生にYESという」や、佐藤航陽の「成功は努力か実力か」を読んだときの感覚。
歴史は男の視点で語られる
歴史は男たちの文脈によって語られるものであった。
私は歴史についてよく知らないし、この言葉が具体的に何を指しているのかわからなかった。しかし説得力があり、実際にそうなのだろうと思った。
実際、読んでいくうちに、当時の女性に向けられている価値観が今とは全く違うこと、自由な発言ができる時代ではなかったことを感じ取った。たとえば戦争を自国の栄光ある勝利のストーリーとしたい人たちがいた。
またこの作品は投資されたエネルギーが他の本とは違うことがうかがえる。ただのインタビューではなく、本当に何度も足繁く通って、ようやくでてきたその一言を書いている。
いうなればスイカの本当に美味しいところだけを集めたような本。昔の粋な作家が、一日のうち最も集中している2時間しか執筆しなかったのと同じだ。
女性視点で書いた点+圧倒的なエネルギーで書いた点で良い本だと思う。
→女性視点で語ることの意味がわかった。それは文字通り、女性が語ることだった。つまり男子と女性では記憶に残っていることが違うのだ。戦争をともに経験した夫婦のこと。妻が話すことを夫はほとんど覚えていないのだ。「そんなことはつまらないことに思えた」そう彼はいう。「妻は感情を覚えているが、私が覚えているのは戦争知識ばかりだ」と。
自分の言葉を持たない人たち
「より正直なのは一般市民だ…不思議なことに教養ある人ほど、その感情や言葉使いは時代の常識の影響を受けている」
これはYou Tubeを見る前にコメント欄を見ることで、自分の感想がなくなるのと同じだ。事前に他のエキスを注入されると、自分のなかからでた言葉ではなくなってしまう。
俺はそんな無個性な人間になりたくない。なぜなりたくないのかといえば、特別な存在でいたいという欲求があることと、小政敵な人間が仕事においても恋愛においても優位性を持つと思うからだ
ではどうすればいいのか。
一つには他人の言葉を遮ることである。自分が受け取る情報を制限するのだ。具体的にはSNSをやめる、You Tubeのコメント欄を見ない、感想を考える前に他の人の感想を読まないってことだ。
不死身だと思う若者たち
「老人は死を恐れるもの、若者は笑えるんです…若い人って自分は不死身だと思っている」
これは戦争を心から志願していた若き日の自分を回顧した女性の言葉だ。
実際、死を意識せずに生きられる現代では、人生は有限であるということをよく忘れる。オナニーをしたり、見たくもないYou Tubeを3時間みたり、SNSで他人と比較して落ち込んだりする。
しかし人間とは「今この瞬間から死ぬまで生きるだけの一匹の動物」に過ぎない。
永遠の命ではないのだ。
北野武は言った。
「生きることばかりが語られるが、本当は死ぬことについても同じくらい考えないといけないよ」
期限のない仕事がなかなか終わらないように、期限のない人生は不完全燃焼で終わるのだろう。
逆に期限を意識して集中して仕上げたときは、達成感と充実感に満ちている。
人生は常に幸せだ。しかしより幸せにいきるには、「死=期限」を忘れないことが大切だと改めて感じる。
仏教に「一日一生」という言葉がある。1日を一生のように生きるという意味だ。
この言葉の通りの人生を生きたい。
回顧している時点で創造している
「回顧とは時間を戻して、過去を新たに生み直すこと。語る人達は、同時に創造し、自分の人生を書いている。書き加えたり、書き直したりもする。そこを注意しならない」
語るということは、その人にとっての事実を話すこということだ。その人がこれまで獲得してきた価値観や、その時の幸福度、気分によって見え方は変わる。人の話しを聞くときはその大前提を忘れてはいけない。
どうやって生きることに活かせるかという問い
このような話は心に衝撃を与える。そしてより引きつける。しかし、どうやって生きることに活かせるのかという問いを忘れてはいけない。
3つのtodo
・自分は不死身ではないのだということを忘れない
・You Tubeを見る前にコメント欄を見ない。本の感想を書く前にレビューを読まない
・相手の話を聞くときは、その人にとっての事実だということを忘れない。
(とくに権威性のある人のとき)
印象に残ったエピソード
・死ぬ寸前の大尉がいるから、看護師がみてくれと。そこで言われた「乳房を見せてくれ。もう四年も女房に合っていないんだ。」恥ずかしくなって看護師は外に出た。1時間あと、男は死んだ。
・密告されたことにより30人が包囲された。沼の中に逃げた。自分には生まれたばかりの赤ちゃんがいる。母親は、沼の中に子供を押しやり、30人の命を救った。
・村は焼かれ、貧しく飢えが蔓延していた。ある5人の子供を持つ母親は頭がおかしくなり、りんごの木で首をつって死んだ。その周りにって子どもたちがいて「お腹が空いた」と言い続けていた
・ネズミや、周りの草などすべて食べきってしまった時、女は小屋に合った牛のフンを食べたことで生きたのだという。温かいのは無理でも冷たいのは食べれた。フンを食べなかった周りの人は死んだ。結局、女も死ぬのだが。