メモ
この小説は母親の葬儀で涙を流さなかったために絞首刑になった男の話である。
・異邦人=外国人
・カミュはノーベル文学賞受賞
・「今日、ママンが死んだ」
印象的な一文目だ。フランツ・カフカの変身の一文目で惚れてしまったように、一文目が面白い作品はずっと引き込まれる。他にも「残念ながら私にはこの本を資格が十分すぎるほどにある」という一文目も好きだったな。
・やけに描写が大雑把だ。村上春樹が1ページ使うところを一文で済ませている。例えばマリィと出会ったシーンはこれだ。「水のなかでマリィ・カルドナに再開した」。落語と講談でいえば完全に講談。地の文で語られる
・マリィと海で出会って、マリィのお腹の上に頭を置いたシーンがとても美しかった。正直、ここまでは「本以外の娯楽がなかったから読まれていたのでは?」と思っていた。しかしこのシーンから一気に面白くなった。本ってすげえわ。こんなに昔の作品が、現代の娯楽と余裕で拮抗するし、なんなら勝つんよな。もちろん入りやすいさは現代の娯楽のほうがあるんだけど、没入感は本がエグい。
・ムルソーの正直さがすげえ面白い。結婚したかとマリイに聞かれて「どっちでもいいことだが、君が望むなら結婚してもいい」と言い、あなたは私を愛しているかと聞かれて、彼「それには何の意味もないが、おそらく君を愛してはないだろう」と言い、じゃあなんで結婚するの?と聞かれて、「それには何の重要性もないのだが、君のほうが望むなら、一緒になっても構わない」といった。愛している?と聞かれて愛していないといった。やばいやつやん。どこが?まず、正直すぎる。普通、発言するときはこれをいったら相手がどう思うかをある程度考えるものだ。しかし、ムルソーにはそのような思考が見えない。それはまるでアドラーの自己と他者の分離だ。自分はこう思う、お前がどう思うかはお前の問題であるという姿勢である。次になぜ愛しているかどうかに意味がないのかが説明せえと思う。あと結婚に意味がない理由も説明せえと思う。こいつは相手に理解させる気がないのだ。でもこの自然体がとてもいい。「何も付け足すことがなかったから黙っていると」のように、無理を全くしていないし、それはとても良い生き方であり、憧れさえ感じてくる。
・印象操作とムルソーのぽんこつさから、どんどん裁判が良くない方向に行ってる。ムルソーは肉体的な要求がよく感情の邪魔をするといったが、とにかくいつも熱いのだ。読み手にフラストレーションを与える。
・最後の司祭への怒り爆発のシーンは、作者の考えが現れているように思えたが、何を言っているのかよく分からなかった。とにかく神は信じていないこと。みんな罪人であること。ほとんどのことは重要でないと考えていること。そんなことを言っていた気がする。
・ムルソーとい人間が好きだ。抽象的な愛などは持ち合わせていない。彼は現在の欲望に忠実に生きている。のどが渇けば、水を飲むし、女を欲すればともに寝る。自分の新体制を第一に置いているといっていいだろう。それは頭でっかちな俺の憧れていたところである。
・異邦人の意味。この小説は母親の葬儀で涙を流さなかったために絞首刑になった男の話である。
・ルムソーが聖職者にきれたところ。神にも頼らない自分こそ究極の主体性なのだと。本当に自信のある人間なのだと。本当にそうだろうな。
感想
身体性をもっとも重視するルムソー
ムルソーとい人間が好きだ。抽象的な愛などは持ち合わせていない。彼は現在の欲望に忠実に生きている。のどが渇けば、水を飲むし、女を欲すればともに寝る。自分の身体性を第一に置いているといっていいだろう。それは頭でっかちな俺の憧れていたところである。この小説の魅力はルムソーのキャラクターに思える。ルムソーの視点から、ルムソーの話をもっと聞きたいと思わされるのだ。
異邦人の意味
母親の葬儀で涙を流さない人間はすべて、この社会では死刑を宣告される恐れがある。つまりお芝居をしないと、彼の暮らす社会では異邦人として扱われる他ない。そのような意味で異邦人なのだ。しかしルムソーは実利よりも信念に生きる男だった。
いや、信念に生きる男といえば、聞こえはいい。
しかし実際は、ただ生きるのが下手くそで、嘘がつけない性分なだけに感じる。なつみさんのように。
不条理の意味
この小説は不条理な話である。ルムソーは全く嘘をついていない。そして嘘をつかなかったばかりに、死刑となった。そして死刑が決まった獄中で、確率の話をしている。自分の意志に関係なく、運命が100%決まってしまうこと、そしてそれが不利益になること。これが不条理ではなかろうか。
TODO
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